役者ではないけれど、「わからない」と、どうつぶやくかでその心情は随分かわるなぁと感じています。

さがしものが、どこに行ったか探しているが「わからない」
男女の会話で、あなたの気持ちが「わからない」
科学者が、研究室でつぶやく「わからない」
小学生が難問をまえに高い声で「わからない」

全部、気持ちが違うし、名優ならすべての「わからない」を演じ分けるのでしょう。

教室でよく聞かれるのは最後の「わからない」で、ほとんどの場合がその言葉の裏側に「もう考えたくない!」「この問題考えるのをあきらめる」という心が見えます。
この時、たいてい生徒は前かがみになっていた上半身を机から話して、椅子の背もたれに身を預けながら「わからない」と、つぶやくのです。

だから、生徒が「わからない」という言葉をいったら、私は「わからないという言葉は禁句!」と、もう少し考えてもらうよう促します。
もう一つ、生徒がすると「禁止~」と私が叫ぶことがあります。アメリカ人がよくするあるジェスチャーです。両てのひらを上に向けて肩をすくめる「お手上げ」みたいな感じで人を小ばかにしたような表情をするアレです。

どちらも、考えることをあきらめたサインです。

でも、科学者の「わからない」は、きっと違うのでしょう。
「若きノーベル賞候補者」と呼ばれる京大の研究者と、あるパーティでお話をしたことがありますが、「わからない」ということが、考える原動力になるとおっしゃっていました。わからないことに出くわすと「なぜこうなるんだ」「どう考えれば理解できるのだ」とより燃えるそうです。

同じ言葉でも、違うんですね。

教室の生徒も、「わからない」ときにこそ、より心を熱くして答えを求める姿勢がほしいものです。

あ、そうそう、一人そんな感じの子がいましたっけ。天才君だったので大抵の難問はホイホイ解いてくれていたのですが、答えを出す方法がすぐに思いつかないときだけ、目の色を変えて取り組んでいましたね。現在、灘校生です!

探求心に裏打ちされた「わからない」を、もっとたくさん教室で聞きたいものです。