心配ごとがあれこれ多い世の中です。
何のために生まれてきたのかなぁ。なんて、ふと呟いてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
私が幼い頃から考えている「修行」を、一緒にしませんか?
世の中に「修行僧」等、自分に厳しく精進されている方も多いですが、そういう特別な辛さを伴うものではありません。小学生だった私が考えた修行ですので楽ですよ。
『1日に二つ、誰かに親切をする』
これだけです。
「世界中の人が、1日に二つの親切をすれば世の中が平和になるなぁ」と、思いませんか?
ひとつだとちょっと足りない。二つです。三つ四つとするのは「おせっかい」と、言われかねないので、二つを心がけてちょうどいいのです。
ちょっとした親切でいいのです。
お買い物をしたときに、店員さんの目を見て笑顔で「ありがとう」とはっきり伝えるとか、狭い場所で誰かとぶつかりそうになったときに、さっと道を譲って笑顔で「お先にどうぞ」というとか。誰かがなにかを探しているときに、一緒に探してあげるとか、そういうささやかなこと。
そういうことをされたとき、なんだか一日中気分よく過ごせると思いませんか?
人によって、ちょっとした親切の「ちょっと」度合いは違うと思います。自分の器にあった度合い、頑張らない程度の「ちょっとした親切」というのが大切です。
これが、世界中に広まれば戦争なんてなくなるのに。と、小学生の私は本気で思っていました。
この修行は、しているうちになぜか「どんどん幸せ感が増してくる」という効力があります。
だんだん、生きているのが楽しくて楽しくてしかたなくなります。
「修行します」という宣言や「今日はこんなことをしました」という報告は一切いりません。
一緒に「修行」しませんか?