コロナウイルスに対する不安と先行きの不透明さゆえに、株価が2万円割れ。円の信頼性から円が買われ円高に。
とうとう、ここまで来てしまいましたね。
テレビやラジオ、新聞など報道は、大事件・大事故や世間の注意すべきことをお伝えするのが仕事なのですが、日本では少し不安をあおりすぎのような気がしてきました。
毎年、インフルエンザでお亡くなりになる方が日本で年間約1000人~3000人です。そのほとんどが1,2月に集中しています。それに対し、今回の新型コロナウイルスでお亡くなりになったのは現在のところ14名という事実。
是非、報道関係者にお願いしたいのは、感染者数だけを積み上げるのではなく、完治して退院した人数をしっかり報道してほしい。
なぜならそれは安心材料となるからです。
もちろん、今は感染を防ぐために細心の注意は不可欠ですが。
トイレットペーパーの買い占めやマスクの転売などを見ていると、あちこちで小さなパニックが起こっているように思います。パニックが起これば冷静な判断ができなくなり不安が最高潮に達したときに、何か重大な事件が起きてしまう気がしてなりません。それは何としても阻止していただきたい。
日本の医療はとても優れているので、今はまだ正体がはっきりわからない新しいウイルスではあるけれど、これだけの人が日本では完治しているのだとわかれば、どれだけ冷静にいられるでしょうか。
手元にある数字では、3月8日現在(日本)
感染者数 1159人
重症 61人
死亡 14人
退院 311人
日本が安心だということがわかれば、オリンピックも無事に開催できるでしょう。あとは、入国者の中の感染者をしっかり把握することが大切ですので、出来つつある簡易検査をできるだけ早急に作っていただき、コロナが世界流行している間は入国者全員に簡易検査を行うことはできないでしょうか。
また、日本民族の歴史は世界一長い(国ではなくあくまで民族として)ので、こういう感染を予防するコミュニケーション方法が自然と出来上がっていったのではないかと最近思います。
例えば、海外の主な言語が息を出すことで音を作るのに対し、日本語は声帯を震わせて発音します。また、あいさつの方法は、海外が主に接触するのに対し、日本はお互い離れて頭を下げて表現します。
万葉時代(記憶があいまいで時代は違うかもしれません)に次のようななぞなぞがあったそうです。「母には2度会い、父には会わず、これはなにか」という内容です。答えも書いてあり「唇」なのです。そこから考えられるのは、「は」という発音は昔は唇を閉じてから開く形で発音していて、現代の「ぱ」に近い発音方法だったということ。それが喉の奥を震わせる今の「は」という発音に代わってきたのですね。だんだん簡略化したということも考えられますが、人に息を吹きかけないという日本のマナーは、長い歴史の中で感染症を予防するという概念から発達してきたとも考えられないでしょうか。
感染を予防する、そして感染症を治すという意味で、世界に対し日本ができる役割は小さくはなさそうです。