時々、保護者の方からこんな相談を受けます。
「計算や図形は出来るんだけど、文章題がちょっと…。なので、国語の授業を受けたいのですが」
ん?、それはちょっと違います。
国語の文章と算数の文章題は同じ日本語で書かれていますが、全く性質が違います。
国語の問題に出てくる文章は、名作、名文ばかりです。小説(物語文)だけでなくエッセイにしても論説文、詩や短歌に至るまで、国語のセオリーに則った文ですので、感じとることができない子も、国語の文章の法則にしたがって考えれば解けるのです。その法則を学ぶのが「国語」という科目です。
国語の成績をあげたいのであれば、国語の授業が必要でしょう。
しかし、算数の文章題には独特の「そんなの説明しなくてもわかっているでしょ」とばかりに、説明をスキップして内容に入るものが多々あります。
例1:バスに10人のっていました。次のバス停で5人降りて、7人乗ってきました。今何人のっていますか。
これが、国語なら
「僕はバスに乗り込んだ、まあまあの混みようで数えてみたら僕をいれて10人がこのバスに乗っていた。みんな駅前で降りるんだろうか。そう考えている内に次の団地前停留所に着いた。おばさん5人が降りて、大きなバッグを持った中学生くらいのお兄さんたちが7人乗ってきた。○○中学野球部と書かれた黒いバッグとお兄さんの熱気でバスの中は少し窮屈になった。次の駅前停留所でいつもの友だちは乗れるだろうか。少し心配になった。」と、いうように、情景描写が入ります。この後、国語の問題なら
問、主人公はなぜ「心配になった」のだと思いますか。
という問題などが出されるでしょうか。
ですから、国語では情景を描いてくれているところを、算数では自分で補わなくてはいけないのです。
それには、お絵描きが大切です。
ただし、文章を聞いたり読んだりして、頭に浮かんだ内容を絵で表現するのです。
パズルクラブでは、年中の一年間をかけて「お話カルタ」という教材に取り組みます。宿題課題ですが、物語を読み聞かせして、子どもは聞いた内容をカルタの絵札となる紙に絵を描いて表現します。だんだんイメージができるようになってきて、算数の文章題で状況を思い浮かべることができるようになってきます。
年長では、この状況説明の絵を簡素化していけば良いのです。
人が10人なら、10個の○を書き、5人降りたら○を5個消す。7人入ってきたら○を7個加える。という作業です。
幼児や小学生のうちは、「手を動かして考える」事が大切です。
昨日の算数オリンピックは、算数に強い小学生が集まりました。簡単に解けるものは、さっと答えを書く。少し難しい問題は、一生懸命絵を描いたり、矢印を入れたり、表を作ったり数字を入れ換えたりと忙しく手を動かしていました。
つまり、文章題に強い子に育てたければ、
1、文章を聞いたり読んで、絵で表現する練習。(普通のお絵描きでは育ちません)
2、その絵を簡素化する練習。(細かく描写していたら算数を解く時間がなくなります)
3、手を早く動かしながら考える練習
などを、小学校に入るまでに行う事が良いでしょうね。
もうひとつ例を上げれば、
例2:サイコロ2個を、出来るだけ見えている目の数が大きくなるようにくっつけると目の数の合計は40になります。では、3つのサイコロを、出来るだけ見えている目の数の合計が、大きくなるようにくっつけると、表の目の数の合計はいくつになるでしょう。
最初の一文の意味はお分かりになるでしょうか?
サイコロの目は1から6で、それを全部たすと21ですね。出来るだけ見えているところの目の数を大きくしたいので、いちばん小さい目である1をくっつけて見えないようにします。すると、サイコロの目の数の合計21から1を引いて20で、二個だから40です。
最初の一文にはこれが「こんなの当たり前だからわかっているよね」という前提で問題文が進んでいっています。
では、絵を描ける子と描けない子の違いは何かというと、描けない子は、状況がイメージできないので、この問題を
20×3=60と、処理しがちです。
でも、絵を描いたりイメージができる子は、「あれ?真ん中のサイコロは両サイドが隠れるな。サイコロの表と裏の面を足したら7だよな」と、考えて
21×3-(1+7+1)=54
と、正答することができます。
さて、ここでこのような中学受験に繋がる問題を解いたことのない保護者様は「あれ?くっついたところだけでなく床面も見えなくなるよな?」と、疑問に思われると思いますが、算数のサイコロ問題は、条件が与えられていない場合サイコロは宙に浮いていると考えるのが前提となります。知らないと解けないですよね。
だから、算数の文章題を解くためには、イメージすることに加え、算数の世界では常識と思われることを知っておくことも必要です。