スポーツや芸術、料理はもちろん、勉強の世界にも「才能」という言葉が使われますね。

たいして練習しなくても、上手に出来る人を「才能がある」と、言ったり芸術家や小説家などが、作品を産み出せなくなって苦しんでいるとき、評論家などは「才能が枯れてきた」という表現をすることもあります。

でもね、才能って枯れないのを知っていますか?

才能の源って何でしょうか?

才能を水に例えてみましょう。

「泉のごとく涌き出す」水をイメージしてください。それが、生まれつき備わった才能です。

子どもたちは、それぞれ「好き」な分野の才能をもって生まれてきます。

では、その才能を生かしてプロで居続けることができる人と、単なる趣味で終わる人の違いは何でしょうか?

「諦めたら終わり?」

「元々、才能のレベルが違った?」

「周囲の環境による?」

いろんな意見がありそうです。

鈴木はこう考えます。

才能の吹き出し口を、井戸と想定しましょう。

井戸は地球の地下水脈と繋がっています。そこから「才能の元」をポンプを使って出してくるのが「活動」です。池とか湖とは全く別次元の量の水が地下水脈には流れているのです。

そんな風に才能の源が限りある物ではなく、かれることがないとイメージ出来た人が、自分の持つ才能のプロとなれるのです。

井戸のポンプは、上の水が下の水を誘い出します。

しかし、使わない期間が長くなると空気が入りポンプを操作しても水が出てきません。そんなときは、誘い水を注いで水が再び出てくるようにします。また、パイプが汚れたり錆びたりするので、久しぶりに汲み上げると水のなかに不純物が混じりますが、使い続けているうちに、またきれいな水を汲み上げることができるようになります。

調子が悪くなったら、ポンプを変えたり、汲み上げる力を大きくしたりするようにします。つまり、野球で例えるならばバッターがスタンスを少し変えたり、筋肉の付け方変えるためオフシーズンにいつもと違うトレーニングをしたりすることを指します。

調子が良いときも悪いときも自分の持てる才能は、無限の地下水脈を汲み上げているとイメージした人が、学者であれ、芸術、スポーツ、料理の世界であれ、「一流のプロ」で居続けられるのです。

もちろん、地下水脈は自然の循環があるからこそです。その自然や周囲の人々への感謝が不可欠なのは、いうまでもありません。自分の才能は自分のもので、人より出来ることなのに、どうして自然やまわりの人に感謝するの?と、思うかもしれません。すぐには感謝の気持ちは起きないし、わからないかもしれませんが、とにかく「ありがとう」の言葉を口にしてみましょう。

私たちパズルクラブの講師は、子どもたちが才能を汲み出すポンプを上手に動かせるように、少しアドバイスするような存在でしょうか。

それぞれが自分の才能を見つけ出し、生涯に渡って活きいきと生きる、そのお手伝いができればこんなに嬉しいことはありません。